『事実価値二分法の崩壊』第1章の超適当なメモ

パトナムの『事実価値二分法の崩壊』第1章の超適当なまとめ。

※個人的なメモなので、解釈の正確性等は一切保証しません。つか、流し読みした次の日にまだ頭に残ってた内容、およびそこからの妄想を書いてるだけです。参考にするなら自己責任でお願いします。できれば参考にせず別の記事に移動していただければなお嬉しいです。

事実/価値二分法の崩壊 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)
事実/価値二分法の崩壊 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

パトナム『事実価値二分法の崩壊』第1章まとめ

事実と価値の二分法が、分析的/総合的の区別と同様に、論理実証主義者たちによって当然の前提とされてきたこと。

それらがいずれも、自分たちがよく知っていると思われる一方の概念とその補集合という形で定式化されたこと。

しかし、クワインによって分析-総合の区別に疑問が呈され、少なくとも両者が単純に二分できる概念ではないということが受け入れられていること。

にもかかわらず、事実-価値二分法は未だに生き延びているが、やはり同様に事実を価値から明瞭に区別できるとは限らないこと。

事実/価値二分法の崩壊がもたらす影響

第1章でパトナムが述べたところは、概ね上記の事柄に集約されると思います。

こうしてまとめると「なるほどなー」とわかりやすい論旨ですね。しかしそれにしても事実と価値の二分法に疑義を呈するとすれば、それは分析命題と総合命題の区別以上に広範なインパクトを持ちうると思います。

たとえば法学。

本書第1部がまさに「ノースウェスタン法科大学院の招きで行われた」そうですが、法学においてこのテーマはうってつけだったでしょうね。アメリカの法体系においてどうなのか私はよく知りません。

しかし、少なくともパトナム自身が前書きにおいて、「経済学を念頭に置いた議論だけど法学においても同様の問題が生じるのだ」という認識を示しています。とすれば、アメリカ法においても事情は同じなのでしょう。

私が知っているのは、日本やドイツの法学における事実価値二分法の重要性です。はっきり言えば、すべての法理論がこの区分を疑うことなく前提して立論しています。少なくとも、私の知る限りはすべてです。

「分析/総合」の区別の崩壊はあくまでもローカルな哲学におけるインパクトでしたが、事実価値二分法が崩壊すれば隣接諸科学への影響はそれ以上になるでしょうね。

ここからパトナムがどんな議論を行うのか、まだ読んでないので楽しみです。

 

第2章以降については、また書きたくなったら追記するかもしれません。別の記事にする可能性もありますし、書くのが面倒になって続きを書かないかもしれませんw