論理解釈と目的解釈

論理解釈と目的解釈なんてことが法解釈の場面で言われることがある。

なぜかこれらが対立するかのように言われているけど、
これはカテゴリーミステイクな気がするな。

そもそも目的解釈は論理的じゃないのかというと、
もちろんそんなわけはない。

「どんな立場だろうと論理的推論を行わないと話が通じない」

これは誰だってわかる。言うまでもないことだ。

ただ、目的解釈といわれているものは、
(自覚的かどうかは知らないが)自明でない前提を導入して
論証を構成しているに過ぎない。

だから、暗黙裏に導入した命題が、体系内の他の命題と矛盾するのでないかぎり、
形式論理的な解釈になっているのに変わりはないと思う。
(過不足なく前提を使えているのかとか、そういう論理性と別の基準はさておき。)

だから両者が対立するのは、むしろ導入した前提の妥当性だとか、
無駄な前提を導入しているとか、そういう論理的推論以外のレベルでだと思う。