自律と自己決定、そして宗教

自律と自己決定、そして宗教の関係が非常に気になっています。

自律という概念と自己決定という概念は、なぜか現代の刑法学だと同義語のように扱われています。あるいは「自律と自己決定」というワンセットのフレーズとして認識されているようなのです。

しかし、この2つの概念は本当にワンセットのものと捉えるべきなのか、議論の余地があるように思います。

この点について、歴史的な経緯から解きほぐしている論文や研究書を私は知らないのですが、探せばどこかにあるのか、それとも全く研究がなされていないのか、非常に気になるところです。

単純に考えると、自己決定は「自己決定権」という権利行使との関係で成立してきた概念のように思えます。一方の自律という概念は、はるか昔から存在してきた、自由意志との関係で問題となる概念な気もします。少なくともドイツ観念論の時点で問題になっていたわけですし、両者は密接に関係していても、別の来歴を持った概念だという疑問は拭えません。

さらに、さしあたり刑法学において、「自律」という言葉が、同じ意味で一貫して用いられているのかについて疑問があります。法の自律性という言葉が言われる時の自律概念と、ここでいう自律概念は同じなのでしょうか?

何か違和感があるのですが。

さらに、宗教的な信念に基づく自己決定というのは、現行法が生命放棄を認めていないこととの兼ね合いでどうしても問題が出てくるわけですが、その境界をどうするのかということも問題です。

こういうテーマは面白いし、また複数の分野の競合する学際的な問題である、生命倫理への立派な基礎研究になると思うのですが、刑法学での関心はかなり低いようです。