応報と目的刑

応報が存在する理由は、結局社会統合目的ではないのか。なぜなら、一般的に言って、刑罰という儀式・儀礼が存在する理由はそれ以外にないから。すると、応報は結局、社会統合目的ということになる。
これについては、「目的刑=別の目的のために人への加害を行うのは許されない」という思想で、社会統合目的を否定する人がいる。
しかし、この命題を認めるのであれば、そもそも目的の無い加害しかありえないことになる。目的の無い加害が不当であることには見解の一致がある。(目的がないのであれば、それは自然現象と同じ機械的なメカニズムにすぎないので、応報の存在を放置する理由・正当化の理由がさらに必要になるだろう。)
そうすると、目的以外の正当化理由を見つけなければならないが、そもそも「正当化に目的以外の形式がありうるのか」というのは非常に大きな問題である。
これを無視して応報だと言っても、結局は矛盾の解消を諦めて、昔からある応報という現象でごまかしているだけになる。