『バベルの謎 ヤハウィストの冒険』長谷川三千子 読書感想

長谷川三千子『バベルの謎 ヤハウィストの冒険』(中公文庫)を読了。やばいくらいに面白い。読み終わって興奮冷めやらないうちにこの記事を書いている。

本作は和辻哲郎文化賞受賞作で、間違いなく名著だ。

バベルの謎―ヤハウィストの冒険 (中公文庫)
バベルの謎―ヤハウィストの冒険 (中公文庫)

最初は文語体で書かれているのを見て時代錯誤の勘違い著者による地雷かと思った。正直、読むのをやめようかと思ったことを告白する。絵画から話を始めた冒頭部分も、単なる印象論のような気がして苦痛だった。

しかし、旧約聖書のテキストを文字通りに読むとバベルの塔のくだりにあからさまな矛盾があることを指摘したところから、どんどん話が面白くなっていった。

創世記を真摯に読むと、たしかにバベルの話を虚栄に対する断罪の話と解釈するのは苦しいし、ヤハウェの言葉はむしろ一つにまとまっていることそのものを咎めているように読める。このあたりの著者の問題提起は説得力がある。

そしてここから著者は、旧約聖書という文献研究の成果からそれがまったく別の時代に書かれた複数のテキストからなっていることを示し、「原点となった古い方の著者(=ヤハウィスト)が創世記という物語で意図したことは何か」という観点から創世記全体を読みなおしていく。著者の手際の鮮やかさには脱帽するしかない。ロジックが明瞭なだけに、まるで上質のミステリーを読んでいるような気になる。

著者は聖書学の専門家ではなく本書もいわば素人の仕事であることを告白しているが、それでも本書が和辻哲郎文化賞を受賞したということは、その分析の鋭さと論理の明晰さが作品として圧倒的に魅力的だからではなかろうか。

私は聖書学などに無知であり、本書も和辻哲郎文化賞受賞作を無作為に読んでいこうと思ったから手にとっただけだ。にもかかわらず、ページを捲る手が止まらず最後まで一気に読んでしまった。明晰な論理分析、意外な着想の面白さがその理由だ。本書には、文体に忌避感を持つ門外漢すら惹きつけるだけの魅力があるのだ。

この本が文庫で読めるというのはほんとうに素晴らしいことだ。中公文庫万歳である。