内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書) 読書感想

楽天koboのクーポンがあったので、内田樹『寝ながら学べる構造主義 (文春新書) 』を買って読んでみた。近所の図書館やブックオフには置いてないし、わざわざ新品を買う気も起こらなかったので、電子書籍で安く変えたのは良かったわ。

読んでみた感想としては、想像よりも良い本だということ。もちろん、色々なところで言われているように、これだけで構造主義について十分だと考えてはいけない。しかし、内田樹が考えるところの個々の思想家のエッセンスを豊富な実例を通じてわかりやすく把握することができる。少なくとも構造主義についての見通しはかなり良くなるのではないだろうか。あとはもう少し深い解説書なり入門書を読んでから、個々の思想家の著作を読んでいけば良いと思う。

個人的には、ヘーゲルやマルクス、ニーチェ、フロイトについて西洋思想を貫く自由で自律的な主体なる概念の解体過程として捉えて説明をしていたところに興味を持った。フロイトやラカンのエセ科学的言説がなぜ世間で評価されるのか不思議だったのだが、この文脈でならその重要性が理解できる。ここは素直に感心した。

まあ構造主義に対する主体解体のための思想という理解は、科学的方法論としての構造主義を高く評価するピアジェ『構造主義』あたりの立場からすれば、本質的なものではないのかもしれないが。

ともかく、フランス系の構造主義思想家および彼らに繋がる思想家について、具体例を豊富に用いてシンプルに解説した本書は広くおすすめできる新書だと思う。意欲があれば高校生でも比較的簡単に読めるのではないだろうか。

私も本書を読んでさらに他の本を読みたくなった。今まで嫌厭していたが、光文社古典新訳文庫から出ているニーチェやフロイトの著作も読んでみようかな(とここまで書いてから、大学生時代に購入したちくま学芸文庫のニーチェ全集11『善悪の彼岸 道徳の系譜』やフロイト『自我論集』が書棚の奥に眠っている事を思い出した。まずはこれを読んでみるべきか)。

科学史の「標準革命」を理解するための参考文献

講談社学術文庫の新刊を眺めていたら、いくつかの本について専門とは全く関係ないけど読みたくて仕方がなくなってきた。その内の一つがこちら。

・橋本毅彦『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』(講談社学術文庫)

この本はどうやら以前講談社選書メチエから出ていた以下の本の改訂版らしい。

・橋本毅彦『<標準>の哲学 スタンダード・テクノロジーの三〇〇年』講談社選書メチエ

文庫化にあたって第六章とエピローグを大幅に改稿し、第七章を追加したとのこと。ブックオフなどで間違って買わないように注意しないといけない。

元々この本が気になった背景には、名前だけはやたらと聞く「標準化」という言葉。どうやらこれがテクノロジーの進展に果たした影響は非常に大きいらしい、ということは耳にしていたが、では標準化がどのようにして影響を与えたのか、そこにはどんな思想があるのか、どの程度生産性に影響しているのか、などについては皆目見当がつかなかった。

本書はそのあたりの知識の欠如を補ってくれるようなので、ぜひ読んでおこうかなと。また、著者の橋本毅彦氏はジョンズ・ホプキンス大学の博士号を持った科学史家で東京大学総合文化研究科教授ということなので、記述が信頼できそうだなと思ったのも、購入を検討している理由の一つ。

ちなみに、著者の業績などについては、勤務先である東京大学科学史・科学哲学研究室の教員リストのページがwikipediaよりも詳細で充実している。

追記

どうやらこの本の著者である橋本毅彦氏は、この分野の第一人者のようだ。

現在Amazonで「標準革命」という単語で検索してみると、該当する著作のうち上位7冊が橋本毅彦氏の著作、あるいは共著となっている。中には入門書のような平易なものも含まれているので、最初に読むならそちらからのほうがいいかもしれない。

なお、「標準化」で検索すると、『標準化教本―世界をつなげる標準化の知識』という本がヒットする。こちらは思想史や科学史ではなく、現実の標準化に関する著作のようだ。他に業務標準化に関する本や品質管理に関する本、さらには無印良品を扱ったビジネス書なんてものもヒットする。

標準化一つとっても奥が深いなぁ。

万能鑑定士Qの事件簿が映画化

やや今更感のある話題ですが、映画化が決定したということでここ1週間くらい万能鑑定士Qシリーズを読んでました。昔から存在自体は知ってたんですが、どんな話なのかわからずスルーしていたんですよね。

今回、楽天の優勝セールでkobo gloを格安で入手することができたということもあり、電子書籍で既刊18冊(事件簿12冊+短篇集2冊+推理劇4冊)をまとめ買いしてみました。ついでに特等添乗員αの難事件も購入したので、1日3冊ペースで読み進めてきたことになります。

個人的にこのシリーズ構成で気に入ったのが、巻を追うごとに登場人物の人間関係が変わっていくことですね。徐々に凜田莉子と小笠原悠斗の関係が縮まってきているのがわかっていい感じでした(ミステリ部分じゃないw)。

あと、以前の巻の登場人物が頻繁に後の巻に登場したりするので、刊行順に読んできた読者的としては非常に嬉しい構成になっています。

てか、この作品は刊行順に読まないとネタバレとかも多いですよね。角川書店の方ではなぜか途中からでも読めるかのような宣伝をしていますけど、嘘だと思います。刊行順に読まないと面白くありませんよ、このシリーズ。

ちなみに短編集についても推理劇の途中で読まないと凜田莉子と小笠原悠斗の関係の変化がよくわからないし、特等添乗員αの難事件も適宜刊行順に読まないと登場人物がわからなくなると思います。推理劇4巻(完結巻)では普通に浅倉絢奈と壱条那沖が出てくるし、Qシリーズだけ読んでる人はわからないでしょう。

ってことで、このシリーズを読むなら、αシリーズも含めて刊行順に読むべきです。

具体的には、下記の通りですね。

「事件簿1~12」⇒「推理劇1」⇒「特等添乗員αの難事件1」⇒「推理劇2」⇒「特等添乗員αの難事件2」⇒「短編集1~2」⇒「特等添乗員αの難事件3」⇒「推理劇3」⇒「特等添乗員αの難事件4」⇒「推理劇4」

この後は、「万能鑑定士Qの探偵譚」、「万能鑑定士Qの謎解き」と続いていくようですし、楽しみですね。

※そのうちもっとちゃんとした感想を書こうかとも思ってたのですが、いつまで経っても投稿できないまま時機を逸してしまったようなので(元記事を書いてから1ヶ月経過してますw)、このまま投稿します。

カール・シュミットとか和仁陽先生の本とか

最近、カール・シュミットについて少し気になることがあって、和仁陽『教会・公法学・国家 初期カール・シュミットの公法学』を読もうと思ったのですが、Amazonなどでアホみたいな価格になっていて困りました。

教会・公法学・国家―初期カール・シュミットの公法学
和仁 陽
東京大学出版会
売り上げランキング: 1,106,131

なんで8400円の本が10万円になるのか、出品している人間に聞いてみたい気がします。

それはともかく、この本がどこかに売ってないかネットで検索してみたところ、長尾龍一先生の「蘇えるビヒモス――シュミット再読――」という文章を発見しました。

和仁陽先生の天才ぶりについては様々なエピソードが有り、茂木健一郎も各所で絶賛しているために私も聞き及んでいたのですが、どうやら長尾龍一先生がシュミットの研究から離れた理由の一つに、彼の書を読んで「筆者(=長尾)のような俗人にはとても理解困難だと諦めて」しまったことがあるようです。これまた凄まじい伝説ですね。2ちゃんねるのコピペになりそうなレベルです。

しかし、個人的に気になったのですが、長尾龍一先生がこの本を読んでもわからないというのは、どこか理解することを拒んでいる側面があるのではないかという気もします。

もちろん、私の思い込みに過ぎないかもしれませんし、大変失礼なことを書いているのはわかるのですが……。少なくともこの文章で引用されたところはそれほど理解困難だとは思いませんし、むしろ長尾先生の方が概念を捉え損なっている気がするのです。

おそらく先生は「尊厳」という言葉を「人間の尊厳」のような未定義の倫理的な概念と考えているのではないかと思われます。

しかし、専制君主を論じる文脈で「尊厳」といえば、カントロヴィチが『王の二つの身体』で論じていたような、伝統ある政治的概念のはずです。つまり、歴史的に議論の積み重ねのある概念であって、断じて「感受性」が必要になるような概念だとは思えないのです。必要なのは「尊厳」概念の概念史的な理解でしょう(そういえば、シュミットとカントロヴィチは同時代人ですね)。

長尾先生は「理解力」などの、自分ではどうにもならない才能的な能力不足を嘆かれているようですが、必要なのは感性でも才能でもなく、単純な知識量・情報量ではないでしょうか。それは才能ではなく読書量が重要な領域だと思います(文献を読むための語学的能力は必要ですが)。

もちろん、長尾先生は法哲学の研究者であって、政治思想史などの専門家ではありません。ですから、こういった概念に親しんでいなくても不思議はありません。

理解できないことをすべて「自分の能力不足」に帰着させるのは、長尾先生の謙虚なお人柄なのかもしれませんが、それにしてもちょっと卑下しすぎなのではないかと思ってしまいました。

まあ、そもそも私の知識量なんて専門家の方々の足元にも及ばない訳で、そんな人間がこうなんじゃないかなと考えたとしても、それが正鵠を射ているとは考え難いですけど……

単なる戯言としてメモしておきます。

【追記】

投稿から数年経っているのに、なぜか検索エンジンから継続的にアクセスがあって驚いています。ニッチキーワードを狙った記事ではなかったのですが、結果的に競合が少なかったからでしょうか。

カントは当時の最新の欧州情勢に詳しかった!?

池内紀氏の書かれた『カント先生の散歩』という本に興味深いことが書かれていた。

【追記】いつの間にか新潮文庫版が出ていた。

潮文庫 カント先生の散歩
池内紀
潮出版社 (2016-07-01)
売り上げランキング: 32,223

私はまったく知らなかったのだが、カントにはジョゼフ・グリーンという友人がいたらしい。この友人は異常なほど時間に正確な人間であり、時間通りに行動するという後年のカントのイメージはこの友人の習慣から影響を受けたのではないかということだ。そのような影響を受けるのも当然だと思えるほどに、カントはこの友人との時間を重視していたらしい。

これまた私は知らなかったのだが、若いころのカントは世俗に興味が無いどころか最新の情報が集まる現在でいうところのメディアセンターのような所で暮らしており、後年の哲学者のイメージとは違って世俗にどっぷり浸かっていたようだ。カントが住んでいたのは彼の論文を出版していた出版社の社屋で、そこは書店もやっていて店の奥では常連客がサロンのようなことをしていたらしい。さらに同じ社屋のホールでは、カントや他の教授が講義を行うこともあったのだとか。

なるほど、メディアセンターという言い方も納得がいく。カントが出版前の本を部屋で読む特権を与えられていたという話も興味深い。というか、羨ましく思えるw

この出版社は新聞も発行していたらしいし、そういう場所に住んでいたわけだから、海外情勢などもよく知っていたという話だ。今だと若いころのカントはジャーナリストっぽいイメージの方が近かったのかもしれない。もちろん学問的なことができないという意味ではないのだろうけど、実に意外な気がする。

そしてそんなカントが友人としたグリーン氏はかなりやり手の商人だったらしく、細心の海外情勢にも通じていたとのことだ。しかもそればかりか学問的なことにも興味関心を持っていたようで、頻繁にカントと議論を行っていたらしい。その交流の中でカントは海外の最新情報にも触れていたし、実際に二人の議論は近い将来起こる政治的な出来事を正確に言い当てたりしていたようだ。アメリカの印紙条例の成立、それへの抵抗と撤廃まで正確に予測していたというから、相当レベルの高い議論だったのだろう。

こういう具体的なレベルでの知識の積み重ねがカントの著作に目立たないように見えるのは、意図的にこのような具体的な要素を省いていたに過ぎず、それ以外のことを知らない学問バカだったわけではないんだなといたく感銘を受けた。

というか、当時の哲学者たちはサロンで活発に議論する中で自らの考えを形成していたらしいから、社交性が全くない人間に深い思索はできないのではないかという気もする。そう考えると学問的業績と社交性を択一的に捉えがちなステレオタイプがいかに虚しいものなのかがわかる。

『キリスト教文化の常識』石黒マリーローズ著 読書感想

石黒マリーローズ『キリスト教文化の常識』を読みました。講談社現代新書の中の一冊で、タイトルの通り世界中で広く信仰されているキリスト教の文化への影響について書いています。

キリスト教文化の常識 (講談社現代新書)
キリスト教文化の常識 (講談社現代新書)

著者はレバノン生まれのカトリック信徒ですね。本書も主にカトリックの観点から書かれていますが、一応カトリック以外の宗派についても説明がしてあります。カトリックとプロテスタントの違いがわからないという人はあまりいないと思いますが、プロテスタントの宗派の違いには無頓着な日本人がほとんどだと思います。本書はごく僅かですがその点についても触れているので、宗派内部でも違うんだなということを意識できます。

日本ではピンと来ないかもしれませんが、主要国のほとんどがキリスト教国である現在、海外の文化的背景について知るためには宗教の理解を避けて通ることができません。

これは一時期喧伝された「真の国際化」とかそういう話とはまた違う次元でも重要です。相手の行動指針のようなものを深く理解すれば、相手の出方を予想するなど競争的な場面でも優位に立つことができますし、共同して事にあたるようなケースでも無用な衝突を回避したり、より積極的に相手に強い印象を与えたりすることができます。つまり、キリスト教国と関係するときに重要な武器になるわけです。国際化=他国の模倣だと考えてこれに否定的な評価を下す人であっても、このような競争戦略上のメリット否定できないでしょう。

ですから、「国際化」やキリスト教に対するスタンスはどうあれ、我々日本人はもっとこの世界宗教についての理解を深めておく必要があると思うわけです。

そしてそういう側面から見ると、本書は類書で中々見られない日抜いところに手が行き届いているという印象の本です。あまり学問的にならず、エッセイのように気軽に読み通すことができます。

今でも根強く残っている人名や地名についての影響から、映画や文学でも頻繁に目にする宗教的なモチーフ、多くの人びとが従うライフサイクルや価値観など、その中で暮らしてきた人にしか書けないような切り口で、日本人にかけている理解を上手く補ってくれます。

体系的に書いていると言うよりは、ちょっとしたコラムの集積という感じで、気軽に読める読み物ですね。まさに新書という感じです。

個人的には慣用句に残る宗教的な言い回しなどが興味深かったです。あと聖人などについての情報が結構入ってたのも印象的でした。欧米人の名前にも影響が残ってるんですね。

元々私の知識が不足しているという側面もあるかもしれませんが、本書は多くの人にとって一読の価値がある本なのではないかと思います。

ところで、キリスト教についての情報を得たなら、今度はイスラム教についても学んでみたくなりますよね。ユダヤ教についてももっと知りたいですし。これくらい軽い気持ちで読めるざっくりした宗教関係の新書がないかどうか、ちょっと探してみたいと思います。

なお、日本人が意識しておくべき宗教関係の事項が書かれている新書としては、藤原聖子『世界の教科書でよむ〈宗教〉』 (ちくまプリマー新書)も読みやすくてお勧めです。世界の国々で宗教の授業にどんな教科書が使われているのかを調べ、そこから各国の宗教に対するスタンス(あるいは政治的なスタンス)を浮かび上がらせるというコンセプトの本で、日本では中々手に入らない情報があって面白かったです。

齋藤孝『暗記力』 読書感想

齋藤孝『暗記力』を読了。

基本的な主張には概ね賛同できる。特に、知識の暗記はものを深く考えるための最初のステップであることを強調しているところには好感が持てた。

暗記力
暗記力

なぜか世間では、暗記力と発想力が対立するものだと考えられている節がある。しかし、圧倒的な知識がなければ、それを超えた発想というのは出てこない。つまり、知識量は土台として絶対に必要な物だ。

物事を理解するという面でも、知識量の多い人のほうがより深く理解できる。理解するとは、自分の中の既存の知識に関連付けることなのだから、これは当たり前のことだ。

同時に、多くの物事に関連付けることでより一層物事を記憶しやすくなる。つまり、知識量の多い人ほど物事を深く理解し、理解した新しい知識を記憶しやすくなるという正の連鎖が生じるわけだ。

知識の暗記というのは、現代日本の一般人がイメージしているよりもずっと重要な要素なのだ。

このことをハッキリと書いている点は高く評価したい。

このような抽象的な効用を説いても重要性がよく分からない人のために、著者は暗記することの実用的なメリットを挙げている。それは、「一歩踏み込んだ使える知識を話すことで、会話のネタになる」というもの。

これは会話の相手をアウトプットの道具に出来るという意味で、こちらのメリットにもなる考え方だし、相手も新しい知識を聞くことができるというメリットが有るウィンウィンの考え方だと思う。一歩踏み込んだ内容の知識を披露すると、相手も感心してくれるし心象も良くなる。それに体験として耳から入った情報は記憶に残りやすいので、相手がそれを覚えられる可能性も高い。もちろん、自分もアウトプットすることでエピソード記憶化することが出来る。これは互いにメリットになるだろう。

アウトプットするということは、自分の記憶の定着も良くするわけで、齋藤孝は昔から他人に教えることを繰り返して知識を記憶してきたらしい。独り言でもありみたいだ。とにかく、エビングハウスの忘却曲線を考えればわかるように、新しい知識はすぐにアウトプットして復習おくほうがよい。そうすると他人に話す前に、まずは自分で架空の聞き手を想定して教えるように話してみることが良いだろう。

他に印象に残ったところとしては、身体的な「技化」するということ。1万回繰り返して技化するという話のところに感心した。特に、空手の型というのが、必要な身体的感覚を養うために必要となる動きであって、そのまま実戦で使うためのものではないというところに感心した。

蛍光灯のヒモでシャドーをしてしまう典型的日本人男性の私だが、中々思ったところにパンチを当てられずに苦労した経験がある。狙った場所に当てることはそれほど難しいのであって、空手の型は威力の出るフォームで思った場所にパンチを当てるときの身体感覚を養うための運動なのだと言われれば、なるほど腑に落ちる。同時に型に対する常套的な批判は完全に的はずれなのだなと納得した。

引用や暗唱の重要性についても書かれており、特に欧米の教養というのが古典の引用を前提としたものだということはもっと強調されてもいいと思う。ただ、日本語訳を暗誦するのはそれほど意味があるのか怪しいなという感想だが……。

もちろん、格調高い翻訳にはそれだけの価値があるんだろうけど、国際社会で求められている教養とは違うんだろうと思う。この辺りの話がもう少し知りたいところなので、齋藤孝の他の本も読んでみようかと思っている。

正直なところ、これまで齋藤孝の本にはあまり感銘を受けなかったのだが、本書は私個人の興味関心とも重なっているところがあり、非常に面白く読めた。暗記の重要性がわかっていない人にこそ、ぜひ本書を読んで貰いたい。

関連記事
⇒ 齋藤孝『齋藤孝のざっくり!世界史』祥伝社黄金文庫

『青きドナウの乱痴気』感想と復刊決定

青きドナウの乱痴気 ウィーン1848年』は、良知力の遺作となった一冊。ガンで闘病中の著者が綴った本書のあとがきは、他に類を見ない迫力がある。

良知力によるウィーンの1848年革命についての書籍には他に『向こう岸からの世界史』もあるが、マルクス主義などの思想史的な研究の色が濃い同書に比べて、民衆の生活に寄り添うかのような記述が多い本書の方がより読みやすいだろう(もっとも、1848年革命について大雑把にでも知っていないと、読みにくさを感じるだろうが)。

平凡社ライブラリーに収録されているものの、現時点では品切れ状態が続いている。名著との誉れ高い一冊だけに、平凡社はぜひとも復刊してほしいものだ。

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)
青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)

6/18追記

なんと、平凡社ライブラリーからちゃんと復刊されるそうな。
これは本当に嬉しいニュース。アマゾンだとオンデマンド版が手に入るみたいだったけど、そんな劣化コピーみたいなものじゃなく、ちゃんとした書籍で入手したかったもので。

まあ、私は既に読んでいるんだけど、手元において置けるというのは結構大きいような気がする。これで一時期のようなアホみたいな高騰はなくなるだろうね。

しかし、社会史系の本を復刊してくれるなら、ナタリー・ゼーモン デーヴィスの「帰ってきたマルタン・ゲール 16世紀フランスのにせ亭主騒動」もついでに復刊してほしい。どう考えても必読書だと思うんだけど。

平凡社ライブラリーは良書が多数収録されていて、読書家としてはとても重宝するレーベルなのだが、品切れが多いのは玉に瑕なんだよね。

【歴史関連記事】
⇒ 『小説より面白いアメリカ史』岡本正明

カール・シュミット「政治思想論集」が文庫で登場

カール・シュミット「政治思想論集」がちくま学芸文庫から出ていますね。これで文庫で読めるようになったカール・シュミットの著作は2冊目ですかね(論集を著作1冊と数えていいのかはわかりませんが)。

政治思想論集 (ちくま学芸文庫)
カール シュミット
筑摩書房
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彼の重要度を考えると、もっとどんどん著書を文庫化してほしいものですけど、カール・シュミットを好んで読むのは法学や政治学専攻の学生だけだろうからなあ。

しかも元々読者の母数が少ない上に、最近はいくらか見直しが進んでいるとはいえ、法学部でもカール・シュミットを読む学生はほとんどいないんですよね。私には知的水準の低下のように思えるのですが、こういう意見は多分少数派です(´・ω・`)

それだけに、今回ちくま学芸文庫が『パルチザンの理論』に続いて出してくれたことに、非常に意義があると思いますね。

いっそ文庫で著作集でも出してくれればいいのですが。だったら買うんだけど。

でもカール・シュミットについては、著作集が慈学社から出ていますし、他にも主な著作が未来社から出てます。代表作の一つである『憲法論』はみすず書房からですし、著作集を出すには権利関係が複雑な予感です。

この上利益の見込みも立たないとなれば、学術的な意義があるとはいえ、あえて火中の栗を拾う人はいないか。

昨今の政治情勢や刑事立法の傾向を読み解くために、彼の理論はとても有益な視点を与えてくれるんですけどね。

同時代のハイデガーについてはいろいろな研究があるのに。

⇒ ハイデガー「存在と時間」の翻訳でおすすめなのは?

もっと一般の人もシュミットを読むべきだと思います。

『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』多賀敏行 読書感想

多賀敏行『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』(新潮新書)を読了。誤訳を巡るエッセイだが、単なる英語誤訳の問題にかぎらず、日本人の思考様式の問題についても考えさせられた。

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)

日本人が「ウサギ小屋」のような部屋に住んでいるという表現が出てくる文章が、実は原文フランス語から英語に直訳され、それを日本語訳したというものであって、「ウサギ小屋」という表現はフランス語の慣用句で集合住宅の意味だったのだそうな。

つまりこれは、「フランス語の慣用句を知らずに英語に直訳した文章を、ちゃんと原文に当たろうとしない日本人が英語の誤訳をそのまま持ち込んだために起こった誤解」ということになる。

なんというか、日本人の語学力云々以前の問題として、「ジャーナリストらが原文に当たろうとしない」「発言の孫引きを元にして印象論で語る」といった頭の悪い態度が問題なんだよなあと思った。

まあ、これについては英語に直訳した元記事の記者も悪かったわけだけど、その後に異論反論を新聞記事にするのであれば、やはり原文に当たり治すのは当然だろう。そこはジャーナリストとしての意識が低いと言わざるをえない。

マッカーサーの「日本は子ども」発言だって、政治的に連合軍と同じ位置(成熟度)にあったドイツが暴走したんだから日本が自由主義を受け入れたからって安心できないという批判に対して、いや日本はドイツとは前提が違うから彼らみたいに暴走しない、だから安心していいんだと批判者を納得させるために日本擁護の目的で発言しているわけだ。しかもそれは侮蔑的な意図ではなく「若いからこそ素直に自由主義を受け入れることができる」というポジティブな意味での発言であり、この文脈を無視して紹介するなんて日本のマスコミの質がいかに低かったかがわかる。

後年、吉田茂元首相も回顧録でこれが誤解であることをはっきり書いているのに、それをマスコミが報道しなかったというのは、結局のところ誤解を解く気がなかったということなのだろう。実にひどい話だが、事情は今の日本でも変わらないんだろうなと思う。

要するに、語学力の問題以前の、自分でものを考えないメンタリティが問題なのだろう。単純な誤訳の問題に還元されない、日本人の心性と密接に関連した根の深い問題だと思う。

まあ、私の以上の感想は、本書の内容を自分の興味関心に引きつけて書いているので、本書を読んで全く別のことを考える人もいるだろう。それはまったく自然なことだ。

なんといっても本書はあくまで誤訳に関わるエッセイなのだから、あくまで英語や語学についての感想を書くのが筋だろうと自分でも思った。

ただ、やはりこの問題には日本人の英語力に還元されない文脈を読む力、自分で物を考え検証する力が文化的に弱いことが根底にあるような気がする。

こういう問題意識は丸山真男が「日本の思想」において論じたことに通じるのではないかとも思う。まあ、ここまで書くと牽強付会に過ぎると怒られてしまいそうだがw

とりあえず本書は一人でも多くの日本人に読んでほしい。

ちなみに翻訳に関しては、こちらの記事で紹介した本が示唆に富む。

『翻訳とは何か 職業としての翻訳』

翻訳というテーマについて色々と思うところがあるので、そのうちまとめ記事でも作成しようか考え中。