ルイスの反論についての推測

ルイスの反論について、一ノ瀬正樹は、次のように反論している。

タイムトラベルの想定を理解可能なものとするならば、

(1)それらは別の可能世界・可能時間である。
(2)すでに逆向き因果を相当程度許容するに等しい。

としてこれらのルイスの反論は有効じゃないとしている。

しかし、読んでいて思ったのは、そもそもルイスの反論の趣旨は、「仮に逆向き因果を認めたら、矛盾が生じる」という背理法なんじゃないのか、ということ。

だから(2)は当たり前の話で批判にならない。

また、(タイムトラベルが逆向き因果の一事例であること(※)を前提することで)「逆向き因果」である以上は同一可能世界・可能時間の出来事だから、(1)も成り立たない。

つまり、ルイスの反論の趣旨は「タイムトラベルが逆向き因果の一事例だとすれば、それは矛盾に帰着する」ってことなんじゃないかな。

んで、この反論の信頼性は(※)の命題がどの程度信用できるかに依存する、と。

だからルイスとしては(※)が相当程度信用できる命題だと考えていたのではないかな。

と、原論文も読まずに、なんとなく思ったことをメモしてみる。

逆向き因果の議論

逆向き因果の議論がようやく少し飲み込めた気がする。

逆向き因果の事例は、当事者の信念が奇妙であるだけで、実際は前向き因果で説明できるケースに過ぎないと感じてて、一体何を議論したいのかよくわからなかった。これは私みたいな哲学を専攻していない一般の人々の率直な感想だと思う。

じゃあ、哲学者は普通に前向き因果で説明可能な現象を挙げて、いったい何がしたいのか?

私が理解した限りだと、逆向き因果の論点とは、そもそもそういう事態が論理的に不可能なのか、論理的には可能なのかという「論理的可能性」についての議論みたいだ。

だから、「仮にこれらの事例が現実で成り立っているとすれば、それは登場人物が通常の人々の理解とは異なる信念を持っているからだ」というもっともな解釈があるとしても、それだけでは論理的不可能性を示した事にはならないわけで、議論に決着はつかない。「事実として逆向き因果が成り立っており、それを登場人物が知っていたのだ」と考えることは論理的に可能だからだ。

言い換えれば、逆向き因果の事例そのものが論理的矛盾を含んでいるとか、そういう強力かつ説得的な反論を行わないといけないわけだ。なるほどねー。

逆向き因果の事例についての率直な感想

某哲学書に書かれていた逆向き因果の事例について、最初に聞いた時には「ついていくのがしんどい」と思った。というのも、どれも個人的な認識にまつわることばかりで、実在に関する事例ではないように思われたからだ。

てっきり、物理学的な現象について逆向き因果の事例があるのかと思っていたのだが、その本で揚げられていたのはそうした事例ではなかった。

正直、拍子抜けしてしまった。というか、何が謎なのかわからなかった。議論そのものを好む私でさえ「なるほど、『哲学者なんて不毛な人種だ』と考える人がいるのもわかるな」と思ってしまった。

認識を媒介とした逆向き因果というのは、要するに我々が「Aという認識」から「A」という事実を推認してしまうために起こった錯覚なんじゃないかと思うんだけど。あるいは、自分が知らないうちなら結果が不定であるという、観念論的な信念を持っているのか。

いずれにせよ、因果関係の本性の解明にどう役立つのか、いまいちピンとこないんだよなぁ。

追記

そもそも私が読んだ本がクソ本だった可能性が浮上してきた。逆向き因果の問題ってもっと別のものなのかもしれない。ネットで検索してたら、私が想像していたのと随分違う話が……

この記事を削除しようかとも思ったけど、とりあえず残しておく。いつか追記するかもしれないし、一思いに削除するかもしれない。

でもまあ、因果関係を正面から扱った日本語で読める本ってほとんどないんだよな。いつかこの問題をきちんと理解できる日が来るのだろうか(´・ω・`)