『翻訳とは何か 職業としての翻訳』という山岡洋一の本を図書館で発見。
なんとなく借りて読んでみたところ、これが思いのほか面白い。
単なる翻訳者の仕事解説本ではなく、
翻訳の歴史や日本の現状などを踏まえた本格的な翻訳論になっている。
一口に翻訳といっても、そこには2つの類型がある。
(1)原文の構造に忠実に、単語や文法の定訳を用いるやり方。
(2)原文の意味に忠実に、著者が日本語で書くならどう書くかを重視するやり方。
(1)はしばしば「日本語の体をなしていない」等と言われるが、
それは意図的なものである。
そこでは読者が当然原著をも読むことを前提しており、
原著でわからなかった部分を翻訳の助けを借りて読み進めることを重視している。
だから原文との対応関係を重視し、あえて日本語として不自然である訳を使っている。
その代わり、原文の意味については膨大な注釈によって解説を加えることで、読者の理解を助けるという構成になっている。
今でも学術書の翻訳などはこれに近いと思う。
他方、(2)は原著を読まない人にもその内容を伝えることに主眼をおいており、日本語として違和感なく読み進めることができるよう配慮されている。
そのため、定訳を使い続けるのではなく、文脈によって訳語を変化させるスタイルになる。
昨今、「日本語としてこなれた」翻訳へのニーズが高まっていることから、
(2)がよい翻訳で、(1)は悪訳だという風潮も出てきている。
しかし、これは単に目的が違うだけであり、
(1)も(2)も、膨大な研究を元に内容を(本文であれ注釈であれ)
読者に伝わるように記述しなければならない点で変わりはない。
つまり、翻訳の質というのは、翻訳者による関連知識を含めた原著の理解と、それを伝える日本語の記述能力のことなのだ。
「読みやすい」というのは翻訳の質が良いことに直結しない。
なぜなら、原著を理解できていない翻訳者が、自分のわからない場所をあえてスルーし、
簡単にわかるところだけを訳した文章でも読みやすくなるからだ。
難解な場所を避ければ読みやすくなるのは当然だが、
それでは原著の内容を理解したとは到底言えないだろう。
今の日本では「読みやすさ」が重視されているが、
それが本当に翻訳者の深い理解=翻訳の質に由来するものなのか、
原著の内容を勝手に改悪したからわかりやすいのかをよく考えてみる必要がある。
同時に、膨大な注釈を用いた翻訳は忌避されがちだが、
だからといってそれが良くない翻訳だとは限らないことも注意する必要がある。
これは第1章のごく一部の内容を私なりに要約したものだが、
なるほどもっともだと目を開かされる思いだった。
私も「わかりやすさの罠」にはまっていたらしい。
あえて定訳を駆使する方法にいかなる価値があるのか常々疑問に思い、
「結局、翻訳者が無能で原文を理解していないからおかしな訳になるのだ」と考えていた。
しかし、そうではなく、目的が違うだけなのだというのは盲点だった。
(無論、本当に訳者が無能のケースも多いようだが。)
その他の章にも非常に興味深いことが書かれており、
新たな発見がたくさんある。
翻訳に興味がある人だけではなく、
あらゆる分野の研究者や学者、さらには英語学習者にぜひ読んで欲しい良書だ。
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ちなみに、当ブログには他にこんな記事も書いている。
これらは上記の基準からしても悪訳だと思われるが、中にはそうではなく目的の違いに過ぎないものもランクインしている可能性がある。参考にする際には注意されたし。
もっとも、これらのエントリーで紹介した本は、日本語として読みにくい上に意味内容が不正確なものばかりなので、正真正銘の悪訳が多いと私は思っているのだがw