逆向き因果の議論がようやく少し飲み込めた気がする。
逆向き因果の事例は、当事者の信念が奇妙であるだけで、実際は前向き因果で説明できるケースに過ぎないと感じてて、一体何を議論したいのかよくわからなかった。これは私みたいな哲学を専攻していない一般の人々の率直な感想だと思う。
じゃあ、哲学者は普通に前向き因果で説明可能な現象を挙げて、いったい何がしたいのか?
私が理解した限りだと、逆向き因果の論点とは、そもそもそういう事態が論理的に不可能なのか、論理的には可能なのかという「論理的可能性」についての議論みたいだ。
だから、「仮にこれらの事例が現実で成り立っているとすれば、それは登場人物が通常の人々の理解とは異なる信念を持っているからだ」というもっともな解釈があるとしても、それだけでは論理的不可能性を示した事にはならないわけで、議論に決着はつかない。「事実として逆向き因果が成り立っており、それを登場人物が知っていたのだ」と考えることは論理的に可能だからだ。
言い換えれば、逆向き因果の事例そのものが論理的矛盾を含んでいるとか、そういう強力かつ説得的な反論を行わないといけないわけだ。なるほどねー。