納富信留『プラトン 哲学者とは何か』

納富信留『プラトン 哲学者とは何か』(日本放送出版協会)を読了。
本書は玉石混交なれど基本的にはよくできているといって良い、「シリーズ哲学のエッセンス」の中のプラトン編。

プラトン―哲学者とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)
プラトン―哲学者とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

実を言うと、読む前は不明瞭な議論に終止するのではないかとか、イメージ中心の中身の無い本なのではないかという不安も捨てきれなかった。

しかし、本書を一読してまず思ったことは、意外にも「言葉」を非常に丁寧に扱っている、ということだ。ロゴスの丁重な扱いによって、議論がとても明瞭になっていると思う。

その点だけでも非常に価値のある一冊だが、本書の魅力はそれだけではない。

プラトン哲学のエッセンスを、彼がいかなる問題に取り組んだのかについて、プラトン自身を取り巻く状況だけでなく、文化的・時代状況をも視野に入れて考察している。

こういう歴史的背景・文脈の理解なくして正確な哲学的理解は難しいと思う。その意味で、この方針は至極真っ当であり、正当でもある。

当時は激動する混沌とした現実に対して目をそむけるような、「価値」の懐疑主義や相対主義が蔓延っていたこと(ある意味、現実追認的ともいえるかも)。

それに対してプラトンは現実から目をそむけることなく、言語分析的な手法で「価値」が「ある」ことの確実性を示し、むしろ揺れているのは普段我々が現実だと捉えているこの「現実」の方であることを明らかにする。現実分析の規範となる「価値=言葉の意味=イデア」そのものは不変であり、ただそれを適用する対象たる現実の方が揺れているだけなんだ、と。

こうしてみると、ある種の皮肉な転換が行われているのがわかる。懐疑主義・相対主義者の方が「現実性」については保守的な見解をとっており、プラトンの方が「現実性」に対してラディカルな見解を示している。

しかし、プラトンの言うように「価値」が一定であることがあるからこそ、言語使用が可能となり、故にロゴスによる現実の認識・分析が可能になるという逆説的な状況があるわけだ。その意味で、プラトンの議論は非常に地に足がついているとも言える。

現在の相対主義が現実分析の能力を失ったり、不注意な意味の一定しない言語使用を行っていることを考えると、非常に示唆的だと思う。

>> プラトン―哲学者とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)

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