『アウグスティヌス―“私”のはじまり (シリーズ・哲学のエッセンス)』を読了。
シリーズ哲学のエッセンスの一冊。
かなり現象学的な議論のしかただなと思って読んでいたのだが、
富松保文氏の著者紹介やあとがきを読んでいたら、どうもフッサール等を読んでいる人らしい。
やはり現象学系だったんだなぁと納得。
それにしても、告白をこの様に読み解けるというのはスリリングで面白い。
とりわけ、アウグスティヌスの読解の補助線として、チンパンジーや幼児の自己認知といった認知科学の話題を参照するとは意外だった。正直、アウグスティヌスのテキストからはずいぶん離れているような気もするが、『告白』からこういう議論を取り出す手際よさには感心させられる。
あと、自分自身を認識するために他者を必要とするというのは、いかにもヘーゲル的に響く論点でもあるなと思った。
個人的に、内と外が互いを参照しあっているという指摘は、縁起の思想に通じるものがあるような気がした。もっとも、それではここで議論しているような内心などというものは「空」である事になりそうだがw