ヘンリー・アダムズの歴史学方法と題してみましたが、この記事タイトルが適切かどうかちょっと自信がありません。ともかく、先日も紹介した『小説より面白いアメリカ史』のなかに、アメリカの歴史文学について述べている章がありました。その中にヘンリー・アダムズの方法論について触れている箇所がありました(というか、この章自体がまるまるアダムズをテーマにしているわけですが)。
その中から個人的に興味深く思われた箇所をご紹介します。
「しかしながらアダムズは、実証主義的な歴史学に方法論の多くを負っているとはいえ、それに顕著な客観主義(過去が客観的に認識可能であるという考え方)をも同時に受け入れたわけではなかった。ランケのごとく、過去を「本来あったがままに」よみがえらせようとする志向性は、確かに、公文書をはじめとする資料に基づくアダムズの実証的なアプローチの仕方自体に見出されるが、彼が過去の出来事(の意味)を所与のものとして、客観性を有したものとして受け入れているわけではない。なぜなら、アダムズは『アメリカ史』において、客観主義とは対照的に、過去の出来事(の意味)はそれをとらえる「視点」の変化によってともに変化するという多視点的歴史観、そして、コンテクスチュアリズム――「出来事の意味はコンテクスト(文脈)によって、他の出来事との関係性によって決まる」(ヘイドン・ホワイト)――を示しているからである。」
岡本正明『小説より面白いアメリカ史』、中央大学出版部、2005年、161ページ
実はこの引用箇所は一段落なのですが、たぶん本書の内容で一番印象に残っています。
私は歴史学に興味はあるものの、主に実証主義的な側面についてであって、歴史哲学などの議論についてはあまり詳しくありません。そんな私でもヘイドン・ホワイトの名前くらいは知っています。
ヘンリー・アダムズがドイツ式の科学的な歴史研究の方法をランケから受けていることは耳にしたことがありました。しかし、まさかそれにとどまらず、ヘイドン・ホワイトの歴史哲学とも共通性があったとは知りませんでした。
もっと言うなら、ヘンリー・アダムズについてはジャーナリスティックなイメージが強く、歴史家といってもどうも文学的なイメージが強かったのです。それはランケの方法論に影響を受けているとしてもかわらぬイメージだったのですが、確固たる歴史哲学を持った人物だとすると私のイメージに偏りがあったことを認めないわけにはいきません。
この点だけでも本書を読んだ価値がありました。