多賀敏行『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』(新潮新書)を読了。誤訳を巡るエッセイだが、単なる英語誤訳の問題にかぎらず、日本人の思考様式の問題についても考えさせられた。
「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
日本人が「ウサギ小屋」のような部屋に住んでいるという表現が出てくる文章が、実は原文フランス語から英語に直訳され、それを日本語訳したというものであって、「ウサギ小屋」という表現はフランス語の慣用句で集合住宅の意味だったのだそうな。
つまりこれは、「フランス語の慣用句を知らずに英語に直訳した文章を、ちゃんと原文に当たろうとしない日本人が英語の誤訳をそのまま持ち込んだために起こった誤解」ということになる。
なんというか、日本人の語学力云々以前の問題として、「ジャーナリストらが原文に当たろうとしない」「発言の孫引きを元にして印象論で語る」といった頭の悪い態度が問題なんだよなあと思った。
まあ、これについては英語に直訳した元記事の記者も悪かったわけだけど、その後に異論反論を新聞記事にするのであれば、やはり原文に当たり治すのは当然だろう。そこはジャーナリストとしての意識が低いと言わざるをえない。
マッカーサーの「日本は子ども」発言だって、政治的に連合軍と同じ位置(成熟度)にあったドイツが暴走したんだから日本が自由主義を受け入れたからって安心できないという批判に対して、いや日本はドイツとは前提が違うから彼らみたいに暴走しない、だから安心していいんだと批判者を納得させるために日本擁護の目的で発言しているわけだ。しかもそれは侮蔑的な意図ではなく「若いからこそ素直に自由主義を受け入れることができる」というポジティブな意味での発言であり、この文脈を無視して紹介するなんて日本のマスコミの質がいかに低かったかがわかる。
後年、吉田茂元首相も回顧録でこれが誤解であることをはっきり書いているのに、それをマスコミが報道しなかったというのは、結局のところ誤解を解く気がなかったということなのだろう。実にひどい話だが、事情は今の日本でも変わらないんだろうなと思う。
要するに、語学力の問題以前の、自分でものを考えないメンタリティが問題なのだろう。単純な誤訳の問題に還元されない、日本人の心性と密接に関連した根の深い問題だと思う。
まあ、私の以上の感想は、本書の内容を自分の興味関心に引きつけて書いているので、本書を読んで全く別のことを考える人もいるだろう。それはまったく自然なことだ。
なんといっても本書はあくまで誤訳に関わるエッセイなのだから、あくまで英語や語学についての感想を書くのが筋だろうと自分でも思った。
ただ、やはりこの問題には日本人の英語力に還元されない文脈を読む力、自分で物を考え検証する力が文化的に弱いことが根底にあるような気がする。
こういう問題意識は丸山真男が「日本の思想」において論じたことに通じるのではないかとも思う。まあ、ここまで書くと牽強付会に過ぎると怒られてしまいそうだがw
とりあえず本書は一人でも多くの日本人に読んでほしい。
ちなみに翻訳に関しては、こちらの記事で紹介した本が示唆に富む。
翻訳というテーマについて色々と思うところがあるので、そのうちまとめ記事でも作成しようか考え中。