いつものように近所のブックオフを巡回していたら、軽く読めるような歴史系の本が読みたくなりました。そこで少し探してみたところ、こちらの本が108円で売っていたので、なんとなく購入してみました。
・齋藤孝『齋藤孝のざっくり!世界史』、祥伝社黄金文庫、2011年
世界史を単なる暗記科目として捉えるのではなく、社会人に必要な基礎知識として捉えようという齋藤孝の立場には共感します。「はじめに」で書かれた以下の文章は、基本的に妥当だと思います。
あなたは世界のニュースを見たとき、「どうして今、こんな問題が起きているのか、何が問題なのか」ということについて自分の意見を、人に話すことができるでしょうか?
世界史の基礎知識がないと、こうしたことはできません。
特に、環境問題やグローバル化といった「世界」を単位に考えなければ解決しない問題を多く抱える現代においては、歴史を世界的に捉える巨視的な観点を持っていないと、現実を正しく捉えることは難しくなっています。
そうです。世界史は、私たち大人にとっても必須科目なのです。
そしてこのような立場から、細かいことに目を奪われることなく「流れ」で歴史を見ていくというのが本書のコンセプトです。まずはざっくりとした理解を持つことが重要なので、こうした方針も適切だと思います。
しかし本書の問題は、「流れ」を把握するためざっくりした解説がかえってわかりにくかったり、根拠が無いように思える主張だったりするところです。
率直に言えば、「ざっくりした説明としても、ズレすぎている」と思われる箇所が多々ありました。自分の専門(?)である身体論に引きつけた記述などは、無理矢理過ぎる気もします。一方でポパーを引用しつつ同時にフロイト的な解釈を行うのは、一貫性の面で疑問でしょう。
特に驚いたのが、マルクス主義は反証可能性が低いというポパーの批判を紹介しつつ、なぜマルクス主義は反証可能性が低くなってしまうのかの理由について、次のように書いているのです。
それは、マルクスとエンゲルスが、あまりにも膨大な、ほとんど最後まで人が行き着けないような『資本論』という著作を書いてしまったからでした。
斬新すぎる解釈です。この書き方だと、あたかもポパーが「『資本論』は長すぎて読めないから反論できない」と言ったかのように読めます。もちろんそんなわけがありません。
問題は著作の膨大さではなく、現実に合わせた都合の良い解釈をいくらでも引き出してくるところでしょう。そしてその問題はマルクスの著作の膨大さに起因しているというよりも、あえて理論があらゆる事例に当てはまるような「教条化」を施した解釈者の側の態度に起因しているように思われます。
まあ要するに、コンセプトはいいけど記述の信憑性は疑わしい娯楽系の本だと思いました。
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